私が毒親というワードに過敏に反応しだした理由
前回の記事が想像をはるかに超える勢いで色んな方に読まれて、少々慌てております。
たくさんのスターやブクマをいただき、ありがとうございます。
はてなは人気ブックマークエントリをひたすら読むだけで、自分が中の人として何かをしていくことがなかったので、少々戸惑っております。
とりあえず、人気ブックマークのところに自分の記事が出てきたときは、猛烈に興奮しました。
私が毒親について考えるようになったのは、母親の癌の闘病生活があったからだと思います。
身内が癌の末期で余命宣告をされたときに気をつけておきたいこと - パンケーキ日和
前に記事に書いたのですが、私の母は数年前に癌で余命宣告されました。
母親は余命半年。父親は既に他界している状態。私はちょうど結婚したところで、その時の仕事と結婚生活を両立させることは大変そうだなぁ…と考えているところでした。
そして、「母親が最後の半年、一人ぼっちなのはかわいそうだ!」と思って、仕事を辞め、母をサポートすることを決めました。
母親は余命半年と言われたものの、想定よりも癌の進行が遅かったらしく、余命宣告から2年半後に亡くなりました。
2年半の間は子どもの時ぶりに母親とがっつり向き合うことになりました。
半年程度仕事から離れるつもりだったのに、2年半も離れることになり経済的にも苦しくなりました。
母親が死ぬと両親共にいなくなることになるので、遺産相続の問題も出てきました。私には弟が2人いるのですが、今まで表面化していなかった家族の問題も浮き彫りになってきました。
想定よりも長く生きられたことは、本来ならば嬉しいことのはずなのに、私にとっては暗黒の2年半になってしまいました。
「この人(母親)いつまで生きるんだろう…もう死んじゃえばいいのに」「母親なんて大嫌いだ」っていう負の感情が止まらなくなって。
その一方でそんな負の感情を人に知られたら大変だ!親に対してこんな風に思うなんて、私って凄い薄情な人間なのかもしれない。何かが欠けているのかな…みたいな気持ちもあって。
母親が癌の告知をされた時点では「お母さんがいない世界なんて考えられない!」って思っていたんです。今思えば、仕事や家族以外の人との交流が生活のメインになって、母親との関わりが適度になっていたので、そう思えてたんだと思います。
実際に母が死んでしまった後は、思ったほど悲しい気持ちがなくて。ホッとしたっていう気持ちが大部分を占めていて。
死ぬ前は「今、お母さんがいてくれたらなぁ!」って時がたくさん訪れると思っていたんだけど、そんなときも訪れず…。
私ってやっぱりおかしいのかな?ってモヤモヤしていたんです。
そんなときに、何かの流れで毒親に関する記事をいくつか読んで。
一般的に親に対して抱いてはならないと思われている感情を抱くこと、そんな感情を抱いてしまう自分に疑問を感じて攻めること、それは決しておかしなことではないってコトを知って、自分の中にあったモヤモヤがスーッとなくなっていたんですよね。
そこから始まって、毒親について色々調べ始めて。共通点のある友達と話したりして。
自分で思っていなかった部分が親との関係性に繋がったりして、興味深深なのであります。
ちょうど今、自分のこれからの生き方についてモヤモヤしていることが多いので。
色々解いていくと、新しい道が開けるんじゃないかな?と思って。
親子関係をあまり楽しくない側面から紐解いていくのは苦しい作業ではあるんだけど、今がその時だと思うので、もう少し踏み込んで考えていきたいと思います。