毒親育ちのもぐもぐ育児日記

80年生まれ、毒親育ち。ちょっぴりネガティブで時々無駄に強気な女が母になりました。

毒親育ちを理由にすることは甘えなのか!?

前回の記事に予想を超える反響があり、かなりびっくりしているのは書きました。
ハテブのコメントとTwitterのコメントは一通り目を通しました。

 前回の記事↓

毒親育ち妻と普通の家庭で育った旦那との間に起こったこと - パンケーキ日和

 

それらに目を通した上で、


「甘えるな」という言葉が開く、あなたの中の依存心の扉 - いんとろばーとの頭の中



こちらのエントリも読ませていただきました。

今は前回のエントリを夜中に書いた次の日に本屋に行って買ってきた「毒になる親」を半分と少し読んだところです。

今感じていることをツラツラと。


毒親を理由にすることは甘えなのか?

毒親であったと認識して、その後どうするのか。というので変わってくると思います。

「毒親だったし、批判されると凹むの!想像以上に凹むの!だから、私を怒るときは気をつけて!もしくは、怒らないで!」

ってなったら、甘えだと思います。

「私は毒親だったことが原因で、人に注意をされたとき、相手が意図している以上に受け止めて、通常想定されるよりも大分大事にしてしまう傾向があるようだ。そのような自分の性質を認識して、誰かに注意されたときは相手がどのような気持ちで言っているのか、よく考えた上で受け止めよう。もしくは、歪んだ認知をしてしまう自分の根本となる考えたかを改めていこう」

というのは、甘えではないと思います。自分が楽になることを相手の言動にゆだねているわけでもないし。多少の協力は仰ぐかもしれないが、その分相手と自分との関係が今まで以上にスムーズになるなら、それでいいんじゃないかな。

鬱病は甘えなのかどうか

前回の記事が甘えかどうかの議論は、うつは甘えかどうかの議論と似ているなぁ。と思います。

「どのような理由であれ鬱病は甘えだ」って思う人もいれば、「ケースバイケースでその人による」って思う人もいる。「どんな理由であれ、鬱の症状が出ているなら周りは手厚く保護すべきだ」って考える人もいるでしょう。

私はケースバイケースだ派なんだけど。「すべて甘え派だ」って人から見たら、私が今「毒親が…」って言っているのは、甘えなんでしょう。人によって考え方は違うので、それは仕方がないなぁ…って思います。

主婦が家事をしてないことが甘えと言われている?

私のブログは主婦のブログってなっていて、前回の記事に出てきた話は「家事をしてない件で旦那に注意をされた」って話なので。主婦のメイン業務である家事をしてないことを指摘されたのに、毒親が…なんて言っているので、甘えだと思われているのかな?とも考えました。

確かに主婦なのに家事をしていないのは良いことではありません。注意をするのも当然です。問題なのは注意をされたときに「やっぱり最近サボりすぎだったよね~!ごめん、心入れ替える~」って思うのか。「この人、私と離婚したいと思ってるんだ!結婚失敗だったと思っているんだ!どうしよう!世の中に主婦100人有能度ランキングがあったら、私が100位って言いたいのね!?」って大幅に慌てふためくのかの違いを書きたかったのです。自分の場合は後者だから、改めていきたいなって思ってます。

普通の家庭で育った人は、みんな正常な考え方なのか?


価値観や考え方は家庭環境と社会や学校で出会う人たちによって、様々あると思います。
中でも家庭環境から得る割合はとても大きいと思います。なんせ、0歳から植えつけられていくんだし。

すべてが普通の家庭っていうのは、存在しないので、色んな考え方や感じ方があります。なので、どっからどう見てもおかしくないって人はいないと思う。

潔癖症の人と病的に潔癖症の人の違いは何だろう?

群を抜くきれい好きだったら問題ないけど。

細菌が怖すぎて1日100回くらい手を洗ってしまう…そのせいで何度も会社に遅刻するし、業務効率も悪すぎて、治さないとクビになって生活できなくなってしまう、って人は病院にいったほうがいいでしょう。

潔癖症すぎて自分と一緒に生活できる人がいない!その結果、結婚ができない!けど、仕事は充実していて友達もいて、毎日幸せ!なら、特に何かをする必要がないでしょう。

めっちゃ潔癖症だけど結婚をしたい!!けど、自分の潔癖具合について来れる相手がいない。このままじゃ結婚できない!心配で夜も眠れない!って思うなら、潔癖度を下げるために病院に行くことも必要かもしれない。

私には、自分がしなくてはならないこと、実現したいことを達成するための障害になっていそうな自分の特徴がある。自分自身、その特徴を好ましく思っていないし、それがなくなれば夢や目標に何歩も近づく気がする。その特徴を持っている原因があって、それを改善する手段があるならチャレンジしていきたいと思っています。

原因が親であると確定したわけではないけど、どうやら色々な記事を読む限りその可能性がありそうだ。このタイミングで自分と親との関係、自分自身について掘り下げてみてもいいかもなぁ。何か発見や進展があるかもしれない、ってのが、今の状態かな。

人生はまだまだ続くので、より楽しく生きられる方法があるなら、それを模索したいのです。